ニタ子っていうあだ名の担任 (中学教師)
  Jly.09.2007 up




 中学3年のときの夏、3日間の予定で林間学校へ行った。その2日目の出来事とその後のお話し。




(1) 色田ニタ子っていうあだ名の担任(25歳♀)

 林間学校の2日目、プールで泳いだ後、夕食までの間の自由時間、割り当てられた8畳ほどの和室に戻ってみると、俺たちのクラスを担任している女教師の色田ニタ子が、何故か俺たちの部屋で寝ている。

 色田ニタ子はそのとき25歳で、本名は白田久美だけど、教師にしては派手目な顔をしていて(ルパン三世の「峰不二子」的な感じで)、少しニタッとしたような感じで(本当はニコッとだけど)、巨乳で、フェロモンを発散しているので、生徒たちに、『色田ニタ子』とか『ニタ子』とかって呼ばれていた。派手目でニタッとした顔は生まれついてのもので、そんな白田先生を色田ニタ子っていうのは可哀想かも知れないけど、そんなこと関係なしに、上級生(卒業生していった上級生)が言うように、みんな、白田久美先生のことを、『色田ニタ子』とか『色田』とか『ニタ子』とかって呼んだ。

 俺も白田先生のことを『ニタ子』って呼び、ニタ子のヤツ結構男遊びしてるんだろうな、なんて友達と話してたりした。

 実際は、その外見とは異なり、色田ニタ子は結構真面目で勉強も一生懸命教えてくれるいい先生だが、でも俺を含めて、外見からみんな色田ニタ子のことを変な風に解釈していた。




(2) 林間学校での出来事  引用情報

 さて、俺たちの部屋でぐっすり寝ている担任のニタ子、部屋を間違えている。
 引率の女教師用の部屋は、別の階にある筈なのに。
 最初、俺たちが部屋を間違えたと思ったけど、どう見てもこの部屋、俺たちの部屋だし、間違えているのはここでぐっすりと寝ている色田ニタ子に間違いないと確信した。
 そう、色田ニタ子は、生徒である俺たちの部屋を、自分の部屋と完全に間違えている。その証拠に、部屋には、ニタ子が着ていた水着がハンガにかけて干してある。そして、疲れたのか、当の色田ニタ子は畳の上でぐっすりと爆睡している。
 俺たちどうしようかと迷ったけど、しばらく様子を見て、色田ニタ子をそのままにしておくことにした。そのままといっても、こんなことめったにないことだから、ニタ子の顔を近くでまじまじと見たりした。
 大人の色気と、いい匂いがする。

 でもそんな平和な状況はBのとんでもない言葉により一変した。
 ニタ子の寝姿を見て興奮した同室のBが、ニタ子を布団に包んで押さえ込んでやってしまおうって言い出したのだ。
 俺を含めてみんな、Bの奴、なんてことを言い出すんだっていう顔だった。
 でもBが、こんな風に布団に包んじまえば大丈夫だからって。

 それで俺たち5人、部屋に鍵を掛け、何も知らないで寝ている担任のニタ子を布団にグルグル巻きの状態にした。
 突然のことで、最初ニタ子の抵抗はなかったけど、やがてニタ子が暴れだした。でも、ヤル以外の連中でしっかりニタ子を押さえつけ、ニタ子のジャージの下とパンティだけ剥いて突っ込んだ。
 胸も揉めずに取り合えず一発って感じだった。

 3人にヤラれて諦めたのか、ニタ子の抵抗が徐々に弱まっていくのを確認しながら布団を外して、ニタ子の叫び声が洩れないようにタオルを口に突っ込んでふさぎ、終わった連中でニタ子の両手と頭を固定。Tシャツやブラも取って、ようやくデカくてプルプルの生乳を揉みながら挿入できた。

 ニタ子に乗っかっている奴以外も見ていてたまらなくなり、襲い掛かっていっしょにニタ子の乳を揉み始めたので、何本もの手で一斉に乳を嬲ってられたニタ子は、タオルを咥えながら「ヴォーヴォー」とかうめいていて、それを聴いた俺たちは更に興奮して、自分でしごいてニタ子の身体にぶっ掛け出す奴もいた。
 40分間ぐらいで挿入一発ずつが終了、もう1回ぐらいヤリたかったが我慢してニタ子から離れた。
 ニタ子は、終わった後、放心状態でしばらく動けなかったけど、俺たちを睨みつけながら無言で部屋を出て行った。
 後でニタ子に訴えられるとか心配だったけど、ニタ子をヤッた満足感でどうでもイイやと腹をくくった。

 ニタ子は体調不良ということで、その日のうちに林間学校から帰ってしまった。




(3) 林間学校から帰った後

 腹をくくったとはいえ、林間学校から帰った後、俺たち、内心凄くヒヤヒヤだったけど、帰った後、しばらくは何もなかった。ニタ子は誰にも俺たちとのこと話してはいないようだった。

 でも、一週間ほどしてから、ニタ子から俺たちに話がしたいって言われた。
 それで、あのときの連中5人全員がニタ子と話をした。
 ニタ子が、「なんであんなことしたの?」って、悲しそうに、けど、俺たちを諭すように話す。

 俺たちを諭すように話すニタ子に、「俺たちの将来もないし、先生の将来もないよ」、「先生の実家の両親も妹も大変だよ」って、ニタ子を脅した。
 俺たち、ニタ子の実家には、ニタ子を誇りに思ってる年金暮らしの両親と、結婚を控えた妹がいることを調べていた。

 穏便に済ませようと、俺たちのことを諭すニタ子なのに。
 俺たち、ニタ子の弱みに付け込んで、またやらせろって、ニタ子に迫った。

 結局、担任のニタ子、妹の幸せや両親の幸せを思ってか、泣きながら、また俺たち5人の相手をした。
 俺たち5人とかわるがわる。

 ニタ子にとって、俺たち生徒と交わるのはこの上もない屈辱に違いないはず。それが悔し涙となって頬を伝わっているのだと思う。そんなことが脳裏によぎり、ニタ子のことを酷く可哀想と思った。
 けど、それよりも担任のニタ子とセックスすることが、俺たちにこの上もない興奮をよんだ。

 セックスを覚えたばかりで、その甘美な味に酔いしれた俺たち、担任のニタ子を三日とあけず呼び出してセックスした。
 ニタ子は、顔とあだ名に似合わず凄く真面目で、その分、俺たちは凄く興奮した。

 ニタ子はいつも、「もうこんなことは止めようね こんなことよくないわよね」って、教師らしく俺達を諭そうとするけど、俺たちはニタ子の言うことに聞く耳を持たなかった。
 そればかりか、俺たちは毎回、ニタ子を脅した。




(4) Bのアパート

 Bが勉強部屋として使っているアパートの一室に(勉強などする奴じゃなかったけど)、ニタ子を呼び出しては、ニタ子の性器を開いて中身をじっくりと見たり、写真を撮影したり、色々なものをニタ子の大事なところに挿入していたずらした。
 俺たち凄く興奮した、なんたって俺達がやってるのは、れっきとした中学校教師で、俺たちの担任のニタ子だから。

 俺たち、「先生が、もう少し開いてくれたら真面目になるんだけどな〜」
 「開き加減が、ちょっと足りないっすよニタ子センセ」
 「もう残念だな〜」なんて・・・


 俺たちによりBのアパートに呼び出されたニタ子は、いつもセックスが始まるまでは身振り手振りを交えて俺たちのこと諭していたけど、セックス中は、ニタ子はいつもマグロ状態で、無表情で黙ったままだった。中学生とのセックスに感じちゃいけないと思ったのかも知れないけど。
 しかし、無表情で黙ったままのニタ子が時折、我慢できずに漏らす甘い声に俺たちゃ凄く興奮した。
 また、いつもニタ子はマグロ状態だったので、その分、俺たち、25歳のニタ子の身体の隅々まで堪能できた。
 ニタ子の身体は凄く綺麗で、凄く艶めかしくかつ神秘的だった。
 そんなニタ子の艶めかしく神秘的な女の部分に、好奇心一杯の俺たちは、酷いいたずらをしてニタ子を泣かせたこともあった。また、ニタ子のことを、「ヤリマン」とか、「売女(ばいた)」とかってなじって泣かせたこともあった。
 ニタ子の身体に、「私は淫乱メス豚です!」って落書きして、授業させたこともあった。

 それに、ニタ子はセックスするときに、「お願いだからコンドームだけはつけて」って毎回言うけど、俺たちゃ無視した。俺たちとセックスが終わったあと、後処理をするニタ子に罵声を浴びせたことが何度もあった。

 このときのニタ子は担任というよりは、俺たちの性処理用のお手軽年上女に過ぎなかった。だから俺たちは、ニタ子にいろいろと酷いことを平気でした。また、どろどろとした欲望をニタ子の胎内に吐き出していた。ニタ子は俺たちにとって何でもできる便所代わりの女でもあった。




(5) 命の大事さ

 そんなある日、ニタ子が2日ほど体調不良で学校を休んだ。
 俺たち心配になって、ニタ子のアパートに行ってみた。

 ニタ子は話したがらなかったけど、産婦人科に行って処置をしてきたってことだった。
 俺たち、最初は何のことかよく分からなかったけど、俺たちとのセックスで妊娠したので、堕胎してきたって言うのだ。堕胎するのにずいぶん思い悩んだとニタ子が苦悩の表情をする。そしてニタ子が、「本当にもうこんなことやめよう。中学生がすることじゃないわ」って言って、命の大事さを真剣に話し、また、ニタ子自身の行いを深く反省する言葉を交え、俺たちを諭した。
 ニタ子はちっとも悪くないのに。

 このときばかりはさすがに俺たち、ニタ子にずいぶん酷いことをしてるんだと思った。ニタ子は未婚のまだ25歳の独身女教師で、そんなニタ子を妊娠させてしまって、人知れず堕胎にまで追いやった俺たち。そんな俺たち、命の大事さを強く噛み締めた。俺たちのせいで妊娠までさせられ、それなのに俺たちをなじることもなく、なお俺たちを一生懸命に諭そうとするニタ子の言葉に涙ぐむ奴もいた。俺もそのうちの一人で、ニタ子の言葉に涙を拭った。
 この日は、俺たちは何もせずにニタ子のアパートを後にした。




(6) 連帯感

 でも、セックスを覚えたばかりの俺たち、一週間もするとまたしたくなって担任のニタ子を脅していつものBのアパートに呼び出した。
 ニタ子の、「これが最後だからね。いい、約束よ」って言葉に、そのときは、「分かってるよ先生」って返事するけど、また、しばらくするとしたくなって・・・、また、ニタ子を脅して呼び出す。
 そんなのの繰り返しで何ヶ月も経ち、年も明けた。
 もう中学校生活も残り少なくなった。

 このころは不思議なことだけど、ニタ子と俺たちの間に、一つの連帯感(好意)が生まれていた。犯罪者と被害者とが連帯感を持つ、ストックホルムシンドロームってやつかも知れないけど。
 いつものように俺たちを諭すニタ子の言葉に、「先生、分かってるよ。俺たちゃもうすぐ卒業だけど、卒業したら先生を困らすことしないし、先生に1年間担任してもらったこと凄く感謝し、残りの中学生生活を有意義なものにするし、卒業後は真面目な高校生生活や社会人生活するよ」って、みんなで真面目に誓った。
 ニタ子は俺たちの言葉に、目に涙を浮かべ、満足した風な表情をした。

 以前は、危険日だろうがなんだろうが避妊具などしないでニタ子とセックスしたけど、ニタ子が堕胎したのを知った後のセックスは、原則、避妊具を付けてのセックスだった。
 俺たち、命の大事さが分かったし、ニタ子の身体を大事にし、二度とニタ子に悲しい思いをさせちゃいけないし。

 また、以前、ニタ子はセックスのときはマグロ状態で、無表情で黙ったままだったけど、この頃になると、俺たちとの連帯感からか、セックス中に、「そう、上手よ」って言葉をかけたり、甘いあえぎ声を上げたりして、堪能といっちゃ教師のニタ子に失礼かもしれないけど、俺たちとのセックスを堪能するようになっていた。




(7) 卒業

 やがて、中学の卒業式を迎え、俺たちとニタ子、卒業後に最後にBのアパートに集まった。
 そして、ニタ子と卒業セックスをした。

 俺たちも、こんな俺たちを1年間担任してくれたニタ子も、みんな涙流しながら。
 こんな感動的なセックス、後にも先にもないものだった。
 俺たちを文字通り身体をもって教育してくれた担任のニタ子に俺たちみんな感謝した。

 一番ぐれてたBも真面目になって、ホトホトBに手を焼いていたBの親が、三者面談のときに、深々と頭を下げてニタ子に感謝するほどだったって話を聞いた。
 昼休みの給食のときや興味のある学校行事があるときぐらいしか学校に来なかったCやDも、真面目に学校に来るようになって、しっかり授業を受けて卒業したし。しかも、ニタ子が担当する授業だけじゃなくて、全部の教科の授業をしっかり受けて卒業した。これも、担任のニタ子のおかげだと思う。
 女子にちょっかいばかりだして何度も泣かせていたEも、2学期の半ばからはもう女子を泣かせるようなことともなくなっていたし、ニタ子に、『ヤリマン』とか、『売女(ばいた)』とか、『公衆便所女』とかって言って、俺たちの中でも最もニタ子に罵声を浴びせていたEだけど、そんなこともなくなり、ニタ子のことを尊敬するようにまでなっていた(つまり人を敬うことができるようになった)。これも、ニタ子のおかげだと思う。
 俺は俺で、ぐれかけて、勉強もほとんどしなかったけど、ニタ子のおかげで勉強に集中でき、県下でも有数の進学校に合格したし。これも、ニタ子のおかげだと思う。

 卒業セックスの後、みんなでニタ子を胴上げした。
 感動の胴上げだった。

 このとき気付いたけど、前年の4月はニタ子のほうが俺よりも背が高かったけど、1年経った3月は、ニタ子よりも俺のほうが背が高くなっていた。もともと背が高かったBは別にして、CもDもEもニタ子よりも背が高くなっていた。
 俺たち、この1年で成長したんだなって、実感した。
 ニタ子に『ありがとうございました』って、涙ぐみながら頭を下げた。
 もう、ニタ子は「性処理用のお手軽年上女」でも、「公衆便所女」でもなく、れっきとした俺たちの先生で、「女神さま」だった。

 そして、最後に、俺たちを男にしてくれたニタ子の艶めかしい部分に、そう、ニタ子の女の入口の部分に、代わる代わる口付けをして、ニタ子とお別れをした。
 ニタ子は嫌がったけど、みんなで拝み倒しての口付けだった。
 顔を赤く染めて恥らいながら自分の指で開いて、中学校を卒業したばかりの俺たちに見せる中学教師のニタ子の艶めかしい性器の中身、俺たちのどす黒い欲望を散々注ぎ込まれていたところだけど、そんなことがまるで無かったかのように鮮やかな赤いピンク色に輝き、相変わらず艶めかしく神秘的だった。




(8) 卒業後

 卒業後、俺が進んだ高校は遠方にあったので、その高校の近くにアパートを借りて住んだ。俺の高校生活は勉強とクラブ活動の毎日だったので、実家に帰ることも少なかった。
 Bは鉄道に興味があったので、鉄道の勉強ができる大都会の高校に進学した。
 CとDは、大都会で一旗挙げるんだといって、故郷を去っていった。
 Eは、進学したかったようだけど、家庭の事情で進学できず、地元の企業に就職した。
 つまり、地元に残ったのはEだけで、俺を含めて他の連中は、実家を離れてしまった。
 こんな状況だから、以前のように仲間で集まるってことは簡単にはできなかった。
 ニタ子は同じ中学校で教師を続けていたけど、こんな状況だからニタ子に会うこともなかった。

 中学を卒業してから始めての夏休み、仲間でまたBのアパートに集まった。いつも担任のニタ子を脅しては呼び出してセックスした思い出の場所だ。
 またニタ子を呼び出そうかっていう話になったけど、もうニタ子に悪いから止そうってことになった。
 ニタ子を呼び出すのはやめたけど、でも、その晩は、ニタ子との思い出話に大いに盛り上がった。
 みんなニタ子のことを悪く言うものはいなかった。
 みんなニタ子に男にしてもらった連中ばかりだ。しかも、俺たちニタ子に酷いことばかりしていたのに、一生懸命俺たちを諭すニタ子の姿がみんなの脳裏に浮かぶ。
 そんなニタ子のことを悪く言う奴などいるはずがない。

 それから、毎年、夏と正月には地元にあるBのアパートに集まって、ニタ子との思い出話をした。
 いつも、またニタ子を呼び出そうってことになるけど、やはり、ニタ子に悪いからもう止そうってことになる。

 しかし、思い返して見れば、ニタ子には本当に酷いことをしたとつくづく反省する。
 教師という立派な職業をしているまだ25歳の未婚の女性を脅して、俺たち中学生の性処理をさせ、果ては妊娠させて、人知れず堕胎するはめにまで追い込んでしまって・・・、 その後も脅して性処理をさせて・・・
 でも、最後はニタ子を含めたみんなでいい関係になったのがせめてもの救いだった。




(9) 同窓会

 中学を卒業してから5年、成人式を機に、中学校のときの同窓会を開くことになった。
 ニタ子も招待した。
 ニタ子は別の中学校で教鞭をとっていて、今も独身で教師を続けていた。

 ニタ子は同窓会への出席を遠慮したけど、是非にということで出席してもらった。
 ニタ子はそのときの年令は30歳、でも、昔と全然変わらない。いや、昔よりも綺麗になっていた。そのニタ子の綺麗さに、俺、心臓がドキドキした。

 同窓会の帰りに、俺、ニタ子に交際を申し込んだ。
 ニタ子は、「大人をからかうもんじゃない」って、成人式を迎えた俺なのに、まだ中学生扱いで、全然取り合わなかったけど、真剣に交際を申し込んだ。

 俺があんまりに真剣に交際を申し込むもんだから、「君が大学を卒業して、私への気持ちがまだ変わらなければ考えてあげてもいいわ。 でも知ってのとおり、私って綺麗な身体じゃないわよ・・・」って、ニタ子が俺に言った。
 ニタ子の表情、複雑な感じだった。
 また、何かを言いたそうだけど、ニタ子は口ごもんだ。




(10) その後

 俺は大学を卒業し、約束どおりニタ子にまた交際を申し込んだ。交際を申し込むまで、手紙を何度も書き、思いをニタ子に伝え、俺のこと忘れられないようにした。
 そして、大学を卒業後、1年間の交際を経て俺とニタ子は結婚した。
 俺が大学を卒業してからちょうど1年目の春、俺23歳、ニタ子33歳、年の差10歳の、元教え子と教師のカップル。
 BもCもDもEも、みな、俺とニタ子の結婚に驚いたけど、「絶対にニタ子はいいよ、最高だよ、ニタ子を幸せにしろよ」って、祝福してくれた。

 いま、ニタ子のお腹の中には俺の子が宿ってる。
 昔、ニタ子は人知れず堕胎する羽目になったけど、今度は、ニタ子を産まれてくる子供とともに絶対に幸せにしようって心に誓う。

(了)



引用情報; 修学旅行最後の夜 見回りにきた担任(美術担当三年目で小柄だけど巨乳)



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