「女教師研究所データベース」


 (ち) 珍事件


珍事件
 → 珍しい、争い・犯罪・騒ぎ・事故など、人々の関心をひく出来事。


 女教師(じょきょうし)をめぐる珍事件は、数多くあると思いますが、その例を紹介します。



 なお、女教師研究所は、下記アドレスに引越ししています。
 このページは、もう更新していません。
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(1989.07) 福島県田村郡都路村の小学校の女教師が住む教員住宅の便槽に死体
女性教諭; 23歳小学校勤務
概  要; 福島県内の山間部にある田舎町の小学校の教員住宅、若い女教師(じょきょうし)の便槽の中に男の凍死遺体が一体。その遺体は、将来を嘱望された青年(26歳)だった。
 下記の文書は、一部を省略していますのでご了承ください。


<教員住宅の便槽の中に遺体 山村に起きた怪事件(リポート・事件)
朝日新聞社 1989.07.04 AERA 24頁

 「記憶をたどるのもいやです
 第1発見者のA子先生(23)は、そういった。
 現場は、A子先生が住んでいた教員住宅のトイレの中だった。それも便槽の中である。
 そこに男が1人、両手両足を折り曲げた格好で死んでいた。ことしの2月28日のことである。
 阿武隈山地の丘陵地にある福島県田村郡都路村。郡山から車で1時間ほどの距離で、全戸数932、人口3800人余。「これといった産業はない。過疎地域に指定されている。
 ●冬なのに上半身は裸だった
 村には岩井沢と古道の2カ所にそれぞれ駐在所がある。が、ここ何十年かの間、事件らしい事件は起きていない。殺人や強盗とは無縁の村で、交通事故も年間数件だけだ。
 現場となった教員住宅は、村の中心部の古道小学校の運動場の東側にある。学校からも見える。板張りの平屋建てで、桑畑を背に坂道に4軒並んで建っている。昔ながらの汲み取り式だったが、事件後まもなく4軒とも水洗トイレに取り換えられた。
 2月28日の夕方、A子先生が学校から帰り、何げなくトイレの中をのぞくと、靴のようなものが見えた。びっくりして外へ飛び出し、裏の汲み取り口に回ってみた。すると、鉄のフタが開いており、人間の足らしいものが見えた。
 すぐに、教頭以下2、3人の教員がかけつけ、警察に連絡。駐在所から警察官がやってきた。続いて三春署の捜査員が到着。村の消防団も招集された。
 便槽の中の死体は、冬というのに上半身ハダカだった。着ていたと思われるフード付きジャンパー、トレーナー、下着2枚を胸にかかえるようにしてヒザを折り、やや左に傾けた顔を上に向けていた。
 消防団員が、便槽の入り口から引っ張り出すことはできないというので、まわりを掘り返して、遺体を取り出した。  遺体は、その場で水道管から引いたホースで簡単に洗われ、すぐ近くにある村役場前の消防団の屯所でさらにていねいに洗われて、村の診療所の鈴木信夫医師によって検視された。
 司法解剖の結果、死因は、
 「凍え兼胸部循環障害」
 と判定された。狭いところに閉じ込められた状態で凍死したという見方である。外傷はヒジ、ヒザにすり傷があるが、いずれも死に至るような傷ではなかった。
 身元はすぐわかった。村の青年会のレクリエーション担当部長の菅野直之さん(26)だった。現場からクルマで10分くらいの岩井沢に両親、祖母の4人で住んでいる。
 警察は、A子先生宅の便槽に何かの目的で入って、そのまま出られなくなって凍死したのではないかとみている。何かの目的というのは「のぞき」以外には考えにくい。
 ●将来幹部と期待されていた
 だが−−
 「あの直之が、そんなバカなことするはずがねぇ」
 村の人たちは、そう思っている。
 直之さんはスポーツや音楽の好きな好青年だった。中学、高校と野球をやり、中学のころからギターも始め、高校時代は仲間とグループを作っていた。自ら作詞もやり、詩を書いたノートを何冊も残している。
 青年会の中心的存在で、仲間の結婚式ではよく司会を頼まれた。
 遺体発見の10日前に終わったばかりの村長選では、当選した渡辺唯四郎村長の応援演説を頼まれた。村長は水戸黄門的立場から村の政治に活躍してほしいと訴えた。
 勤め先は隣の大熊町にある、原発のプラントの保守を業務とするウツエバルブサービス会社。そこの営業主任だった。
 会社の上司、高松正大取締役が、直之さんについて語る。
 「村でも信頼され、会社でも将来は幹部になっていくひとりだった。近いうち、直之君をめぐって、村と会社で取り合いになるんじゃないかといっていたくらいだった」
 それほど信頼の厚かった直之さんが、どうして、便槽の中で発見されたのか。だれにも説明がつかないのだ。
 足取りもよくわからない。
 直之さんが遺体で発見される4日前、つまり2月24日の大喪の礼の日から、彼の足取りはプツンと消えている。
 ●村長選は激しいものだった
 前日の23日夜、家の近くの料理屋で開かれた先輩の送別会に出席し、24日午前1時半少し前、直之さんは車でその店を出た。
 そして、その日の午前10時ごろ、父親の忠さんが、居間でテレビを見ているとき、玄関との間にあるドアのスキ間から、
 「ちょっと行ってくるからな」
 という直之さんの声を聞いた。それっきり、帰ってこなかった。
 直之さんの白のクラウンは、自宅から約10分くらいの農協前の駐車場に止めてあった。いつもと違って、キーをつけっぱなしにしてあった。
 そのさらに6日前の2月18日も様子が少しおかしかった。村長選の選挙運動の最後の日である。
 直之さんは、告示の日の応援演説に続いて「最後のお願い」を渡辺陣営から頼まれていた。が、彼はその演説に行かなかった。この日の昼前、友人宅に寄り、
 「頼まれているけど、雪も降ってるし、いきたくない。やめた」
 と語っている。
 直之さんが手伝った村長選は、かなり激しいものだった。
 立候補したのは、4期目をめざした渡辺村長と、2年前に助役を辞めた佐久間二郎氏。村の同じ岩井沢地区の出身である。
 渡辺村長は、前回、前々回と無投票で当選してきたが、「多選を嫌う」ひとたちが、佐久間氏をかつぎ出した選挙だった。
 久しぶりの村長選とあって、村は燃えた。
 夜間、無線で連絡を取り合って、何台ものクルマを使って、徹底的に相手陣営の運動員の動きをマークする。
 「村内のウワサでは、1票2万円という話だった」
 と、ある元村議はいう。
 選挙結果は、投票率95.33%、渡辺氏=1976票、佐久間氏=745票という結果だった。
 「別にシコリが残ったということはない。ただ、菅野君の事件があったことで、選挙戦がらみという話も出て、変な空気になっている」
 と、村のある有力者は話す。
 ●うわさや推測が乱れ飛んだ
 便槽、女教師、選挙……小さな村でうわさや推測を呼ぶには十分すぎるお膳立てである。
 警察の事故説よりも、何らかの事件に巻き込まれたという話の方が興味を抱かせる。そして、「他殺説」が語られ、あげくに、
 「だれだれが怪しい」
 といった詮索まで始まった。
 「このままでは、村がガタガタになる」
 3月末になり、警察に「真相究明」を求める署名運動が始まった。直之さんの同僚や友人たちが村の1軒1軒を回り始めたのである。1カ月足らずで、4300人もの署名が集まった。近隣町村にも呼びかけたとはいえ、村の人口よりもはるかに多い数字だ。
 この署名を添えて4月末、三春警察署に嘆願書が出された。
 受け取った三春警察署の菊地寿次長は困惑気味だ。
 「ひとつでも、犯罪の匂いが出てくれば捜査もできるが、何ひとつ犯罪に結びつくような材料はない」
 それでも何か手がかりが出てくれば、と駐在のおまわりさんが、巡回ついでに情報収集につとめているという。
 「たしかにいい男で、ほんとに残念だと思う。選挙も応援してもらって、一生懸命やってもらった。これからの青年だったのに、おしいことをしたと思います。あんなことをする男じゃないと思う。不思議なことだと思うんですが、憶測でいろいろな話が出ることは、ほんとに困ったことだなと思っているんです」
 渡辺村長の話である。(編集部委嘱 鈴木基顕)







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