「女教師研究所データベース」


 (じ) 自殺


自殺  → 自分自身の命を絶つこと。


【参考】
 
  毎年発表される「自殺の概要資料(警察庁生活安全局地域課発表資料)」の数字を、当研究所にてグラフ化
   (管理職を除く、大学教員を含む、幼稚園教諭を含まず)



 2007年7月を基準に、ここ数年は、若い女性教諭の自殺の記事が目立つ。これは、若い女性教諭の自殺が多いためか、それとも、新聞などが、若い女性教諭の自殺を記事にするためか?
 いずれにしても、記事にならない自殺の方がはるかに多い。





(2006/11) 中学女性教諭が飛び降り自殺か/名古屋・北区 
名古屋市中学校 女性教諭(26歳)
飛び降り自殺

中学女性教諭が飛び降り自殺か/名古屋・北区
 2日午前11時55分ごろ、名古屋市北区の県営住宅(14階建て)の敷地内で、近くに住む中学教諭の女性(26)が倒れているのを通行人が発見、119番通報した。女性は病院に運ばれたが、全身を強く打っており、間もなく死亡が確認された。
 愛知県警北署によると、女性は2学期から3年生の学級担任になったが、2週間ほどしたころから情緒不安定気味になり、休職中だった。同署は、女性がこの住宅から飛び降り自殺を図ったものとみて動機を調べている。
読売新聞 中部朝刊 中2社34頁 2006. 11. 03



(2006/12) 新任女性教員の自殺 西東京の小学校
西東京市の市立小学校 女性教諭(25歳、新任)
首吊り自殺
状況; 児童の万引き問題、いじめ問題、保護者からの毎日のような深夜の電話
2006年10月30日に自宅アパートで自殺を図り、2006年12月16日に死亡、2008年1月に労災申請の予定

新任女性教員の自殺、遺族が公務災害申請へ 西東京の小学校
 東京都西東京市の市立小学校に勤務していた新任の女性教員=当時(25)=が昨年自殺したのは、過重労働や公務上のストレスが原因として遺族の代理人が25日、地方公務員災害補償基金都支部長(石原慎太郎知事)に来月にも公務災害認定を申請する考えを明らかにした。昨年6月には、新宿区立小学校に勤務していた別の新任女性教員=当時(23)=が自殺しており、代理人の川人博弁護士は「学校側の対応不足など共通の背景が存在し、制度の見直しを含めた対策を急ぐべきだ」と訴えている。
 都内で会見した川人弁護士によると、教員は平成18年4月、新任教員として市立小に赴任し、2年生の担任(児童数36人)になったが、過重労働やストレスが原因で鬱病(うつびょう)に罹患(りかん)。10月30日に都内の自宅アパートで首つり自殺を図り、病院に搬送されたが意識不明のまま12月16日に死亡した。
 教員は担任業務に加え、深夜にも携帯電話に保護者からの連絡が入るなど対応に追われ、実質的な超過勤務時間は1カ月100時間を超えていたという。鬱病発症後、教員は一時休職するものの8月末には職場復帰し、投薬・通院のかたわら自殺を図る5日前まで業務をこなした。この際、学校側からは副担任をつけるなどの措置はなかったといい、川人弁護士は「教員の過労・ストレスを助長する学校運営があったのではないか」と指摘している。
 川人弁護士は教員が自殺の1週間前に母親へ送ったメールを公開。メールには「毎日夜まで保護者から電話とか入ってきたり連絡帳でほんの些細なことで苦情を受けたり…つらいことだらけだけど」「泣きそうになる毎日だけど」と、教員の疲弊した心情がつづられていた。
2007年12月25日20時57分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071225-00000936-san-soci

心を病む教員が急増「先生を孤立させないで」
 心を病む教員が、なぜ急増しているのか。昨年度1年間で4675人もの公立校の教員が、休職する理由になった「精神性疾患」。背景を探ると、単なる「業務の多忙さ」では片づけられない事情も浮かぶ。
 深夜になっても携帯電話を鳴らしてくる保護者、同僚に悩みの一つも打ち明けられない職場……。専門家は「先生たちを孤立させないことが大切」と指摘している。
支え合う職場作り必要
 「自分が情けない。子供たちに迷惑をかけて申し訳ない」
 兵庫県伊丹市の公立学校共済組合近畿中央病院。学校に復帰するため専門のトレーニングを受けている小学校の女性教諭(50歳代)は涙を流した。
 6年生の担任と親の介護で疲れ切っていた今年春、別の小学校への転任が決まった。低学年を担任したかったが、経験を買われて6年生を任された。
 多感な高学年のクラスはささいなことでよくケンカが起きる。
 「うちの子が同級生にぶたれたと言っている。どうなってるんだ」。保護者から夜になって学校に入った苦情電話に「明日確認します」と答えると、「明日じゃダメだ」とどなられた。
 転任からまだ2、3か月。酒を飲んで愚痴を言う同僚もいない。「自分はベテラン」とのプライドが邪魔して相談もできなかった。
 そこに介護疲れが追い打ちをかけ、ある朝、体がだるくて動かなくなった。「学校に行かなくちゃ」という気持ちを体は拒絶し、休職するしかなかった。
 「仕事の多さもあるが、職場で教師同士が支え合う関係がないと厳しい」。同病院の井上麻紀・主任心理療法士は解説する。
 東京都西東京市の自宅アパートで自殺を図り、昨年12月に死亡した小学校の新任女性教諭(当時25歳)も多忙な中で孤立していた。
 担任した2年生に万引きの疑いがかかり、深夜まで謝罪に歩き、「上履き隠し」が起きて保護者会で問題にされた。7月にうつ病を発症して休職。8月に復職したものの、学級内でいじめも起こり、保護者から毎日のように深夜に携帯電話を鳴らされる状態だった。
 2004年まで中学校の校長を務めた井尾雅敏さん(63)(北海道余市町教委生涯学習推進アドバイザー)は、教員が分担して作る「学校経営計画書」を簡略化したり、職員会議の時間を短縮化したりした経験からこう指摘する。
 「教師の仕事をスリム化して、子供を職員室全体で見る体制作りがカギ。教師が一人で問題を抱え込まないよう、校長や教頭も対応するべきだ」
(2007年12月29日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20071229ur01.htm

新任女性教師、夢半ばの自殺…遺族が公務災害を申請
 2006年に自殺した東京都西東京市の市立小学校の新任女性教師(当時25歳)の両親が28日、地方公務員災害補償基金東京都支部に公務災害の認定を申請した。
 教師になりたいという夢をかなえたばかりの女性は、学級内に続くトラブルに悩んでいた。「悲劇を繰り返さないよう、新任教師に手厚いサポートを」と両親は強く訴えている。
 「小学校教師はやっぱりきついね」。自殺を図る約2か月前、福岡県の母親(56)にあてたメールに、そうつづられていた。
 教師の夢を追って、短大から首都圏の教員養成大学に編入学し、06年4月から西東京市で教師になった。
 低学年を受け持って間もない5月中旬、学級内で万引きのうわさを聞いた。名前の挙がった児童の親に伝えると、「どこに証拠があるのか」と抗議を受けた。校長が親に謝罪して収まったが、後日この件について職員会議で報告を求められた。
 後に女性の部屋で両親が見つけた遺品のノートの切れ端に、女性の文字があった。「確証がないのに電話してしまい、保護者を傷つけてしまった」「校長や副校長にもご迷惑をおかけしました」。職員会議で謝罪した言葉の下書きだった。同僚の一人は「彼女が謝らなくても、と違和感を感じていた」と、遺族側の川人博弁護士に語っている。
 さらに7月ごろ、学級内で児童の上履きや体操着が隠され、保護者会の対応に追われた。7月中旬にうつ病の診断を受け、8月末まで休職した。9月に復職したが、学級内で起きた新たないじめなどの問題が続き、症状は悪化していった。
 着任時の女性教師は、同僚には明るい性格と映っていた。だが、10月下旬に近くの駅へ歩く姿を見た複数の同僚からは、「やつれて、やっと歩いている様子だった」との証言がある。
 女性教師は10月30日に自宅アパートで首をつり、12月16日に息を引き取った。教師になって、わずか9か月だった。
 市教委は「指導役の教師も、親身になって相談に乗っていた。特別な精神的ケアはなかったが、2学期からは業務の一部をほかの教師に任せ、校内研修も免除して負担を軽減していた。考えられる支援は行っていた」と説明する。
 しかし、女性教師を診察していた精神科医は「うつ病は過労や仕事上のストレスが原因であり、このうつ病の結果、自殺に至った」との見解を示している。
 川人弁護士は「一番問題なのは、新任教師への精神的ケアが管理職らに欠けていたこと」と述べ、公務災害だと訴える。
 女性教師は、教員の志望書に、「精一杯の情熱と愛情で、子供の可能性を引き出していきたい」と書き、希望にあふれていた。両親は「休暇で実家に戻ってきた娘は『職場は想像以上につらい』とこぼしていた。なぜそこまで追いつめられたのか」と、今も納得できずにいる。(朝来野祥子、山田睦子)
YOMIURI ONLINE (2008年2月29日03時32分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080229-OYT1T00145.htm




(2006/10) 校長がパワハラとの遺書残し女性教諭が自殺
鹿児島県曽於市立中学校 女性教諭(32歳)
首吊り自殺

女性教諭が自殺、パワハラ訴える文書残す 鹿児島県
 鹿児島県曽於市の市立中学の女性教諭(32)が上司から「いじめを受けた」などと訴える内容の遺書らしい文書を残して自殺していたことが30日、わかった。文書は教諭のノートパソコンに保存され、「パワーハラスメント」として抗議しているという。
 教諭の父親によると、教諭は29日朝、同県内の親族の家で、首をつっている状態で見つかった。28日夕から行方不明になっていたという。教諭は数年前からこの中学に音楽教諭として勤務。上司から名指しでしかられたり、専門外の教科も教えるよう指示されたりした末、今年9月下旬、「指導力不足教員」として研修センターへ行くよう指示されたらしい。
 曽於市の植村和信教育長は「頑張ってもらおうと(上司は)指導したと聞いている。自殺とは聞いていない」としている。
asahi.com 2006年10月31日03時18分
http://www.asahi.com/national/update/1031/TKY200610300372.html

パワハラと思われ残念
 教諭の自殺を受け、勤務先の中学校には動揺が広がった。生徒たちは「明るくて優しい先生だった」と口をそろえた。校長(55)は31日の会見で、「教諭の死は本当に悲しい」とした上で「(指導を)パワハラと受け止められてしまい、非常に残念に思う」と話した。 校長によると、教諭は02年4月の赴任以来、「学校を休みがちで遅刻が多かった」。教諭が欠勤すると授業に支障が出るため、たびたび校長室で指導したという。「指導力不足教員」とされ、10月から研修センターに移った。
 校長が、教諭と最後に話したのは27日午後3時過ぎ。電話で「体調不良のため、午後から(センターでの研修を)休みます」と伝えてきた。
 学校側は教諭の死亡が確認された29日にさつま署から連絡を受け、30日の全校朝礼で生徒に伝えた。同日の通夜に参列した職員から「家族が『自殺でした』と話した」と聞き、改めて31日の職員朝礼で報告した、としている。生徒には自殺については説明していない。
 生徒たちによると、教諭はいつも明るく、笑顔を絶やさなかった。流行曲をピアノで伴奏し、クラス全員で歌う音楽の授業は人気だった。ある男子生徒は「自分たちが好きそうな曲を選んで、いつも歌詞を書いたプリントを用意してくれていた」。
 30日の朝礼では教諭の死亡が知らされると、泣き出す女子生徒もいたという。別の女子生徒は「休み時間に、気軽に恋愛相談に乗ってくれた」と話し、「亡くなったのは今も信じられない」と悲しんだ。
 学校側は31日、生徒たちが動揺しているため、放課後の部活動を中止して帰宅させた。
asahi.com(鹿児島) 2006年11月01日
http://mytown.asahi.com/kagoshima/news.php?k_id=47000000611010004




(2006/10) 女性教諭自殺 
東京都新宿区立小学校 女性教諭(23歳)

自殺教師の公務災害申請 両親「先生夢見た娘、なぜ…」 再発防止策求める
 「先生になることを夢見て努力してきた娘が、2か月後になぜ、自らを『無能』と断じて命を絶たなければならなかったのでしょう」。新宿区立小学校に今年春から勤務していた女性教師が自殺した問題で、公務災害の申請に踏み切った両親は24日、悲痛な思いをコメントにつづった。不安を胸に教壇に立つ新任教師を、どう支え、育てていくのか。娘の死を無駄にしないためにも、再発防止策の確立を両親は求めている。
 記者会見した代理人の川人博弁護士によると、同校は1学年が1クラスしかない「単級学校」で、2年生の担任になった女性教師には同じ学年に相談できる教師がいなかった。また、今春、同校の教師10人のうち5人が異動してしまい、地域や家庭の状況を把握している教師が少なかった。
 そんな状況下で、保護者と交換する連絡帳に、女性教師の指導に疑問を示す書き込みがされるようになった。女性教師は5月下旬に自殺を図って未遂に終わり、精神科の診察を受けたものの、数日後に自殺。「無責任な私をお許し下さい。全て私の無能さが原因です。家族のみんなごめんなさい」とノートに書き残した。自宅に持ち帰った仕事も含めると、1か月当たり100時間以上の時間外労働をしていたという。
 女性教師の両親は弁護士に託したコメントの中で、「娘は、大学生になった時から先生になることを夢見て努力をしてきました。採用試験に合格した時には、本人も周囲も大喜びをしました」「彼女が最期まで逃げずに職を全うしようとしたから倒れたのだということを証明してあげたい。幾多の若い人材が二度と娘と同じ道を歩むことのないことを切に望んでいます」などとつづっている。
読売新聞 東京朝刊 都民234頁 2006. 10. 25


「教諭自殺は学校に責任」両親が公務災害申請 新任「支援不足」/東京・新宿
 ◆新宿区立小 新任2か月
 東京都新宿区立小学校に今春から勤務していた新任の女性教師(当時23歳)が自殺したのは、仕事上のストレスや学校の支援不足が原因だとして、この教師の両親が24日、地方公務員災害補償基金東京都支部に公務災害の認定を申請した。心の病で休職する教師が増える中、新任教師の死は学校現場に課題を突き付けている。
 両親の代理人弁護士によると、この教師は4月、2年生の担任になった。保護者と交換する連絡帳の中で、宿題の出し方が安定しない、子どものけんかで授業がつぶれるなどと指摘されるようになり、5月には、人生経験の少なさも批判された。
 このため5月22日、校長に初めて相談。保護者と電話で話すよう指示を受けたが、時間外労働も加わり、過度のストレスを感じていた。自殺を図っていったん未遂に終わったが、同月末にもう一度自殺を図り、翌日死亡した。ノートには「全(すべ)て私の無能さが原因です」などと書き残されていた。弁護士は「保護者からのクレームなどで精神的に追いつめられ、学校の支援も不足していた」としている。
 両親は弁護士を通じ、「娘は、大学生になった時から先生になることを夢見て努力をしてきた。最期まで逃げずに職を全うしようとしたから倒れたのだということを証明してあげたい」などとコメントした。
 文部科学省によると、2004年度に病気休職した全国の教師6308人のうち、精神性疾患による休職者は10年前の約3倍にあたる3559人。
 新宿区教育委員会では「新任教師が亡くなったことを重く受け止め、児童へのケアをしてきた。公務災害の申請は内容が確認できずコメントできないが、手続きには協力したい」としている。
読売新聞 東京朝刊 2社38頁 2006. 10. 25


夢見た教壇2カ月 彼女は命を絶った 23歳教諭の苦悩
 東京都新宿区立小学校の新任の女性教諭(当時23)が昨年6月、自ら命を絶った。念願がかなって教壇に立ち、わずか2カ月後に、なぜ死に至ったのか。両親や学校関係者に取材すると、校内での支援が十分とはいえないなか、仕事に追われ、保護者の苦情に悩んでいた姿が見えてくる。
 母(55)がメモ帳に書かれた遺書を見つけたのは、死去から2カ月たった昨年8月のことだ。「無責任な私をお許し下さい。全て私の無能さが原因です」。「無責任じゃない。責任を果たそうとしたから倒れたのに」と父(55)。やりきれない思いがこみあげた。
 高校時代から教師を目指した娘が小学2年生の担任としてスタートを切ったのは、その年の春。
 この学校は各学年1学級だけで同学年に他に担任がおらず、授業の進め方の直接の手本がなかった。しかも、前年度10人いた教員のうち5人が異動していた。「家庭の事情など本人の希望などを尊重した」と区教委は言うが、「校長の経営方針に反対して異動を希望した教員も多かった」と学校関係者。「新学期のうえに教職員が入れ替わったせいで、ゆとりがなかった」と関係者は語る。
 娘がまず提出を求められたのは食育指導計画、公開授業指導案、キャリアプラン……。離れて住んでいた父は娘と電話で話していて「追いまくられてると感じた」。午前1時過ぎまで授業準備でパソコンに向かい、そのままソファで眠る日が続く姿を姉が見ていた。
 娘は姉や祖母に「保護者からクレームが来ちゃった」と話してもいた。
 区教委によると、ある保護者が4月中旬以降、連絡帳で次々苦情を寄せた。「子どものけんかで授業がつぶれているが心配」「下校時間が守られていない」「結婚や子育てをしていないので経験が乏しいのでは」。校長がこれを知ったのは5月下旬だった。「ご両親が連絡帳の文面を見たらショックを受けるかもと区教委から言われた」と父。
 他の保護者たちも校長室を訪ね、「子どもがもめても注意しない。前の担任なら注意した」などと訴えていたという。
 娘は5月26日に友人と会ったとき、「ふがいない」「やってもやっても追いつかない」と漏らした。その翌日、自宅で自殺を図ったが、未遂となった。
 母が急いで精神科を受診させたところ、抑うつ状態と診断された。魂の抜け殻のようで声が出ない。娘は言った。「ひどい」。しばらくして「あたし」。
 自宅の風呂場で自殺を図ったのは、その2日後の夜だった。翌6月1日朝、病院で亡くなった。
 「大学時代、小学校で先生の補助をし、笑顔の絶えなかった娘が、どうして……」。両親は写真に問い続けた。
 団塊の世代の退職を受け、各地で新人が次々採用されるなか、埼玉や静岡などで自殺が起きていたことも改めて知った。
 亡くなって5カ月後の10月下旬、地方公務員災害補償基金東京都支部に対し、公務上災害の認定を申請した。「声を上げないとさらに亡くなる人が出てしまうかもと思うと、いてもたってもいられなかった」と母は話す。
 今春、2人は都公立小学校長会に手紙を出した。その一節にはこう書かれていた。
 「若い先生方への心と身体へのサポート体制を学校全体として作り上げていただきたい。そして若い先生方に、いつまでも夢を追い続けていただきたいとの一念です」
2007年10月09日18時05分 朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/1009/TKY200710080324.html



(2004/09) 自宅近くの駐車場で焼身自殺
静岡県(福田町)の小学校 女性教諭(24歳)

『先生の叫び』 (テレビ静岡制作)
<番組内容>
 昨年9月、静岡県内で、教師になってわずか半年の新人教師が焼身自殺を図りました。5年前には48歳のベテラン教師が自殺。全国で年間70人〜100人の教師が自殺しています。今、学校では何が起きているのでしょうか?
 教師の遺族と、支援する教師の現状を取材していくと、「子どもへの対応が大変だから」という理由だけで教師が「心の病」にかかるのではないとわかります。悩みを同僚に打ち明けられない、教師同士のつながりが希薄になっている現状が見えてくるのです。

<新人教師の自殺>
 昨年9月、静岡県内の小学校で、教師になってわずか半年の女性教師が焼身自殺しました。娘は何に悩んでいたのか。両親は日記や同僚の証言をもとに知ろうとしました。そこには、授業がうまくいかず焦っていたこと、上司からの叱責などが記されていました。子どもの対応以前に、教師同士の希薄な関係が新人教師を「孤独」に追い込んでいたことがうかがえたのです。

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 去年9月。24歳の女性教師が、自宅近くの駐車場で焼身自殺を図りました。この事実は、警察も発表していません。学校も、こどもや保護者・同僚の教師に対し「不慮の事故」という説明しかしていません。私は、知り合いの教師から「教師になってわずか半年の新人が灯油をかぶって自ら命を絶った」と知らされました。若い女性がなぜこんなにも激しい死を選んだのでしょうか。
 自殺の理由は何なのでしょうか。
 遺族や支援する教師、精神科医からは「教師は孤独」という言葉が頻繁に出てきます。愕然としました。先生同士が話す時間もなく、職員室が冷たい雰囲気でどうやって生き生きとした教育ができるのでしょうか?
 文部科学省も「こどもの心の病」には必死になってきましたが、「教師の心の病」には本腰を入れてはいませんでした。しかしここで、この問題を指摘しなければ、教育は一向に良くならないと私は感じました。正々堂々とカメラの前に立ってくれる人達、正々堂々と叫んでくれる人達を探し出すのに苦労しましたが、モザイクをほとんど使わずに映像表現できたことにほっとしています。
テレビ静岡 【2005年11月1日(火)26時33分〜27時28分】放送>
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/14th/05-344.html

参考; 福田町で25歳の女性教師が焼身自殺したらしいですが誰か知ってますか? (04/10/02) http://teacher.muvc.net/uwasa/syoushin-jisatsu.html



(2003/03) 首に電気コード 女性教諭が窒息死/愛知・津島
愛知県立高校 女性教諭(54歳)

首に電気コード 女性教諭が窒息死/愛知・津島
 十一日午後零時十五分ごろ、愛知県津島市藤里町、県立高校教諭大崎佳代子さん(54)が自宅で首に電気コードが巻き付いた状態で死んでいるのを、近くに住む母親(81)が見つけた。県警は十三日、自殺と他殺の両面で捜査を始めたと発表した。調べによると、死因は窒息死。玄関には鍵がかかっており、室内には物色された形跡はなかった。大崎さんは夫と死別し、子供も独立しており、一人暮らし。
 大崎さんは高校で英語を教えており、十日は同高の入試で午後六時すぎに帰宅した。翌十一日の面接試験では面接官を務める予定だった。
読売新聞 東京夕刊 夕社会 19頁 2003. 03. 13



(2000.03) 香川県丸亀市の市立城北小学校の女性教諭が自殺
女性教諭;40歳小学校勤務
勤務先の小学校で飛び降り自殺(家庭の事情で退職を申し出ていて、慰留されていた)

女性教諭が飛び降り自殺か
共同通信社 2000.03.08 共同通信
 八日午前九時四十五分ごろ、香川県丸亀市瓦町の市立城北小学校の敷地内で、同校の女性教諭(40)が血を流して倒れているのを職員が見つけた。教諭は病院に運ばれたが、間もなく死亡した。
 丸亀署によると、教諭が倒れていたのは校舎わきの通路で、三階から屋上に通じる階段踊り場の窓(地上約一○・五メートル)が開いており、同署は教諭がここから飛び降り自殺したとみている。遺書などはなかった。
 城北小学校によると、教諭は家庭の事情で退職を申し出ていたが校長から慰留され、死亡する直前には校長に「もう一年頑張る」などと話していたという。



(1999/11) 女性校長・女性教諭が自殺

過労自殺に救済の道を あす18日シンポジウム 遺族への相談会も/大阪
 ◆20日に「110番」開設
 仕事上のストレスが原因の自殺や働き過ぎによる死などに関して、大阪過労死問題連絡会弁護士が遺族らの相談を受け付ける「自殺・過労死110番」(06・6366・9055)が二十日午前十時から午後三時まで開設される。また、十八日午後六時三十分からは、大阪弁護士会館で、「過労自殺シンポジウム」が開かれ、遺族への相談会も予定されている。いずれも無料。
 労働省が九月、過労による自殺の認定を緩和する新基準を示しており、連絡会は「遺族にとって自殺はオープンにしにくい微妙な問題だが、救済の道はあるので、まず声を上げてほしい」と呼びかけている。
                 ◇
 連絡会の弁護士らはすでに、業務が原因とみられる自殺について具体的な対応に取り組んでいる。
 京都府内にある造船会社のエンジニアだった四十歳代の男性は、他メーカーとの激しい価格競争の中、製品開発の責任を一人で背負い、長時間残業や休日出勤が重なった末に自殺。労災が認められなかったため、再審査を請求中だ。
 保護者からの追及を受けてうつ病になった大阪府内の小学校の五十歳代の女性校長、学級崩壊に悩んでいた中学校の四十歳代の女性教師の自殺についても、労災申請などを検討している。
 全国的な組織「過労死110番全国ネット」(事務局・東京)には一九八八年以降、五千件を超える相談がある。過労死が半数を占めるが、この数年は業務に原因がある自殺に関しての相談が増加している。残業や休日出勤など過酷な長時間労働を苦にしたり、会社のリストラ方針と対象者との間で悩んだりした末の自殺などがあり、長引く不況が影を落としているという。
読売新聞 大阪朝刊 泉州 28頁 1999. 11. 17



(1993.02) 兵庫県多紀郡の小学校教諭が自殺
女性教諭;41歳小学校勤務
福知山線の線路内のレールに寝転び轢死

女性教師が自殺? 丹南のJR踏切 /兵庫
朝日新聞社 1993.02.20 大阪地方版/兵庫
 多紀郡丹南町犬飼のJR福知山線岡ノ上ノ坪踏切(自動遮断機付き)で、十九日午後七時十五分ごろ、篠山口発大阪行き電車(六両編成)に女性がはねられ死亡した。
 篠山署の調べによると、同郡の小学校教諭(41)で、線路内に入りレールの上に寝転んでいたという。同署は自殺ではないかとみて調べている。



(1992/07) 軽乗用車の転落女性は高校教諭/門司水上署
北九州市門司区内 高校教諭(34歳)

軽乗用車の転落女性は高校教諭/門司水上署
 七日深夜、北九州市門司区東港町の岸壁から海に転落した軽乗用車を捜索していた門司水上署は、八日午前九時半、岸壁から約七メートルの海底(水深約十一メートル)に沈んでいるのを見つけ、引き揚げた。運転席で女性が水死していた。調べによると、同区内にある高校の教諭(34)。自殺らしい。
読売新聞 西部夕刊 夕社会 09頁 1992. 07. 08



(1990/10) 中学女性教師が飛び降り/東京・練馬区
練馬区立中学校 女性教諭(31歳)

 練馬区の区立光が丘第四中学校の女性教諭が十二日午前五時三十分ごろ、自宅の十四階建てマンション屋上から飛び降りて自殺していたことが十三日、明らかになった。
 自殺したのは同区豊玉南三の二〇の一五、ソフア豊玉一の一〇七、山口真百合(まゆり)さん(31)。
 練馬署の調べによると、山口さんは夫と子供の三人家族だが、一か月ほど前から「教師をやめたい」と話し、仕事の事で悩んでいたらしい。
 同中の青木昌治教頭によると、山口さんは二年五組の担任で国語を教えていた。最近は「眠れない」などともらすことが多く、ふだん活発だっただけに元気のない様子が目立っていたという。同中では十三日、授業が終わった後に全校生徒を体育館に集め、小松健校長が山口教諭の死亡を生徒に伝えた。
読売新聞 東京朝刊 都民2 27頁 1990. 10. 14




(1990.06) 群馬県安中市に住む公立高校の女性教諭が自殺
女性教諭;49歳公立高校勤務
夫の制止を振り切って橋から利根川に飛び込む(自宅療養中)

女性教諭が飛び降り自殺 群馬
朝日新聞社 1990.06.10 東京地方版/群馬 0頁
 9日午前10時35分ごろ、北群馬郡子持村上白井の利根川に架かる綾戸橋で、安中市に住む公立高校の女性教諭(49)が橋の欄干を乗り越え、約25メートル下の利根川に飛び降りた。間もなく、約900メートル下流で、水死体でみつかった。
 渋川署の調べでは、教諭は夫の運転する乗用車で利根郡内の実家に向かっていた。「橋を見たい」と言い出し、車が止まった直後、夫の制止を振り切って飛び降りたという。春先から体調を崩して自宅で療養中。同署は発作的に自殺を図ったとみている。



(1985.12) 山形市の小学校の女性教諭が自殺
女性教諭;6年生担任のベテランの小学校女性教諭
クラスの指導に悩み、校舎の屋上から飛び降り自殺

〓子どもの指導に自信をなくした〓 女教師が飛び降り自殺(山形)
NHK 1985.12.17 NHKニュース
 山形市の小学校で6年生を受け持っていた女の先生が3日前の夜「子どもたちの指導に自信をなくした」という内容の遺書を残して、校舎の3階から飛び降り自殺していたことがわかりました。
 この先生は山形市立第10小学校の女性教諭です。
 この女性教諭は今月14日の放課後、同僚の先生が帰ったあとひとりで学校に残り、午後7時ごろ3階建の校舎の屋根にのぼって12メートル下の中庭に飛び降り死亡しました。
 警察の調べによりますと、職員室の教諭の机の上に「子どもたちの指導に自信をなくした。自分の力が足りなかった」と書いた遺書が残されていました。
 山形県教育委員会が学校から受けた報告によりますと、女性教諭は責任感が強く勤務ぶりもまじめだったということですが、2学期に入ってから校長や夫に「夏休みのあとクラスにまとまりがなくなって来た。自分にはこのままクラスを指導していく自信がない」と悩みをもらしていたということです。
 しかし女性教諭のクラスには、いじめや非行などの問題は特になかったということです。
 このため山形県教育委員会ではこのベテランの女の先生が死を選ばなければならないほど悩んでいた問題は一体何だったのか、くわしく調べることにしています。






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